
KEN SUZUKI SEMINAR
For Flourishing, Resilience and Growth-mind

講演者経歴
山田 英明 氏
1969年4月:丸紅株式会社入社
1983年4月:丸紅㈱九州支社長
1992年5月:丸紅タイ国会社副社長
2000年4月:㈱三陽商会社長
2001年10月:丸紅伊藤忠鉄鋼㈱
2003年4月:㈱三陽商会社長
2008年3月:同社退任
現在は社会保険労務士事務所を開業し、活躍する。
木村 勝男 氏
17歳で建設作業員として大阪に出て、19歳で阪神土木興業(後の阪神ガス工事)を創業。
会社を経営しながら、31歳で大阪工業大学附属高等学校(定時制)卒業。
運送業、不動産業、資産運用業他、様々な会社を設立するが、バブル崩壊により巨大な負債を抱えることとなる。
2007年3月、大阪府立大学大学院MBA取得。
現在、企業再生に関する投資事業・不動産オフバランス支援事業を行うUBI株式会社 取締役会長と、特定非営利活動法人BS経営研究所代表理事を務める。
第5回目の開催趣旨
1月18日金曜日に私達、鈴木ゼミのメインイベントの1つである第5回BBMAが開催されました。今回は、先生の親友である、山田様(元三陽商会社長)と木村様(UBI株式会社 取締役)のお二方を、講演者としてお招きいたしました 。
第5回目の開催趣旨は、最終回として、学生に、長期的なビジョンを明確にすること、そしてそれを実現するためには何をしなければいけないのかをわかってもらうために開催しました。
山田様の講演
商社マンとして働かれていた経験から、
①山田様が総合商社を選んだ理由
②学生生活の楽しみ方
③山田様が考えるグローバル人材とは
④働くこととは、人生とは
⑤仕事のとらえ方
⑥どんな人材と一緒に働きたいか
⑦自らの強みの形成の仕方とは
⑧活躍できる人材とは
という大きく8個の項目についてご講演してくださいました。特に、強みの形成の仕方についての部分では、強みとは周囲から認められていることなので、周囲のニーズ、会社のニーズ、社会のニーズに応えられる人になることが強みを形成することにつながるとのことでした。また、どんな人材と一緒に働きたいかに関しては、自分原因論の人、期待以上の仕事をする人が戦力であるとのことでした。
今回の山田様の、ご講演は就活性や4回生が即戦力として働くために必要なことを教えてくれた講演だったのではないかと思います。
木村様の講演
木村様自身がおっしゃっていたように、根っからの起業家であります。しかし、数多くの逆境に立たされた企業家でもあります。逆境の一つにはバブル崩壊によって抱えた負債額200億円があります。この負債も長期的なビジョンを掲げ返済することできました。このような、多くの逆境を乗り越えた木村様が今回特に強く言われていたのは「メシの種を作れる人になること」「目標に数字を入れることの重要性」といったことでした 。
以下で、木村様が言われた魅力があり、深く考えさせられる言葉を紹介します。
「やってみな、わからん」
「逆境に勝る師なし」
「数字をわかれ」
「変化はチャンス」
「変化に対応せな生き残れん」
「うまいこといったら銭が儲かる、失敗したら経験が儲かる」
このような、言葉から「経験することの大切さ」を感じるとることができました。
木村様のご講演は、これからの人生のとらえ方を訴えかけてくれたご講演であったのではないかと思いました。
参加者の意識の高ぶり
今回は50人を超える学生に参加していただきました。これまでの参加者は国内学生が中心でしたが、最終回の今回はたくさんの国際学生、新たな国内学生の参加を見ることができました。また、五回連続で参加してくれた学生もいました。イベント後には、山田様、木村様に質問の列を見ることができ、講演を聞き意識が高まったのかなと思えた一面でした。
懇親会
今回は、運営スタッフと唯一5回参加してくれた吉武さんで懇親会を行いました。
10時からの懇親会でしたが、山田様、木村様の両方がそれぞれの質問に真摯に答えてくれました。ふとした会話の中にも、持論を展開して下さるお二人に終始勉強させられました。真冬の夜遅くにも関わらず、熱い時間になりました。
筆者の感想
最終回は、集客に不安を抱えていました。しかし、始まってみると多くの学生に集まっていただき本当に感謝したいです(目標人数には及びませんでしたが、、、)
BBMAは終わってしまいましたが、この会を通して一人でも多くの人が志をもって今後の学生生活を送ってほしいと思います。
最後に
今回のBBMA広報は、リーダーの活躍もあり、なんとキャンパスターミナルに掲載することができました。そのおかげで、集客に不安があった今回でしたが、本番では多くの学生に来ていただけました。第五回のBBMAをもって、ゼミのメインイベントは終わりました。
スタッフとしての立場も大変でしたが、多くの学びを得た企画でありました。
執筆 山上博史